2024年8月末でフジテレビを退社し現在フリーアナウンサーとして活動している渡邊渚さん。
2023年7月に入院し闘病生活を続けていました。その時は病気の詳細を明かしていませんでしたが、フジテレビ退社後2024年10月に「PTSD」であったことを公表しました。
そしてフライデーのスペシャルインタビューで「PTSD」になった原因について本人が語っています。
今回は、渡邊渚さんが「PTSD」になった原因と中居正広さんのトラブルとの因果関係について解説していきたいと思います。
渡邊渚のPTSDの原因
原因は突発的に起きた出来事だったと語っています。
「当日は雨の日でした。その時の気候や最寄り駅、匂い、食べ物を想起するとパニック発作が起こり、『過覚醒』というPTSDの症状で些細(ささい)な物音にも恐怖を感じるようになっていった。トラウマとなった食材を避けるためスーパーに行くこともできないし、食事もまともに喉(のど)を通らず、1ヵ月で5㎏体重が落ちました。ですが、私をPTSDにした人たちのせいで人生を奪われることが悔しくて……。なんとか立ち直ってやろう、とその場所に足を運んだり、もがき続けました」
【全文公開】「もう私はダメだな」…渡邊 渚 ″絶望から再生へ″「やりたいことはすべて挑戦する」 | FRIDAYデジタル
この内容を要約すると
- 雨の日の出来事
- 駅に立ち寄った
- 食べ物を食べた
- 私をPTSDにした人たち←複数人関わっていた
日々の積み重ねから発症したものではなく、ある1日の出来事でPTSDが発症したことが分かりますね。
そして、当日は雨が降っており、移動手段は駅を利用するもの、そして特定の場所で食事をしたこと、これらのことに複数人が関わっていることが推測されます。
会社にも関係するトラウマなので、仮に復帰できてもいつ再発するかわからなかった。警察に被害届を出すことも考えましたが、踏みとどまりました。私は頻繁にメモを残すようにしており、当時の日記には、『自分に正直に生きれば良かった』と書き記しています。
そんな経緯もあり、事件から数ヵ月後の昨年秋には会社を辞めることを覚悟していました。自分の大切にしていたことが、一瞬で手の平からこぼれ落ちていった。PTSDにならなければ、おそらくアナウンサーの仕事はずっと続けていたと思います
【全文公開】「もう私はダメだな」…渡邊 渚 ″絶望から再生へ″「やりたいことはすべて挑戦する」 | FRIDAYデジタル
この内容を要約すると
- 会社にも関係するトラウマ←フジテレビとその他が関係している
- 警察に被害届は出していない
- 『自分に正直に生きれば良かった』←自分の意に反する出来事であった
- 事件から数ヵ月後の昨年秋には会社を辞めることを覚悟していました。←その日のことを「事件」だと言っている
「会社にも」という表現には、フジテレビだけではなくその他も関与しているように解釈できますね。
そして「自分に正直に生きれば良かった」との言葉から、自分の意思ではないことを強要された様子が伺えます。
そして当時のことを「事件」だと話していることから、警察に被害届をだしてはいないが事件性のあるものであったということが分かりますね。
これらのことから、中居正広さんのトラブルの相手は渡邊渚さんではないかと噂が広まっています。
ではなぜ、そのような噂が広まっているのか解説していきます。
中居正広のトラブルの相手が渡邊渚と言われる理由
どちらも当日が雨の日だった
渡邊渚さんがPTSDを発症した原因である事件の日が「雨の日だった」と本人が語っています。
そして、中居正広さんのトラブルがあった当日も雨の日だったそうです。
どちらも食べ物が関係している
渡邊渚さんは、その時の食べ物を思い出すとパニック症状が出ること、トラウマとなった食材を避けるためにスーパーへも行けないことを話していました。
このことから、事件の日は食事をしたことが推測されます。
そして、中居正広さんのトラブルは会食中での出来事だったと報じられているので、食事をしていることが共通しています。
警察に被害届は出していない
渡邊渚さんは事件の日について「会社にも関係している」「自分に正直に生きれば良かった」「警察に被害届を出すことも考えたが踏みとどまった」と話しています。
中居正広さんのトラブルが、「フジテレビからの献上だったのではないか」「性的トラブルであった」「和解9000万円を支払い解決している」ということから、状況が一致しているものが多くあります。
まとめ
渡邊渚さんのPTSDの原因となった事件が、中居正広さんのトラブルと関係しているのではないかとの噂が広まっているので検証してみましたが、出ている情報を照らし合わせて筆者が推測したことをまとめているということをご了承いただけたらと思います。
コメント